ここは、座長「田Ko」(以後:私)のブログのようなページです。
過去作や、現在開発中の作品の四方山話を書きます。時々、お絵描きなんかも載せたりします。
また、私はここに、日記のような感覚で、その週の徒然たる話を書いていきます(こっちがメインかも)。
その足跡を辿れば、開発中の新作の姿が少しは見えてくるかと思います。
稀に、私の作品に共通する、私の世界観なども書いていく予定ですので、
意外と重要なページになあるかもしれませんね。
まぁ気楽に、暇つぶし程度に、読んでいってくださいな。
...タイトル名称の読み方は「にちにち これ きにち」です。あんまり語感は良くないねぇ。
タイトル「ひとりよがり 継ぎ接ぎの理想郷」
<記述日:2025年05月11日>
本ページをご覧の皆さま、こんにちは。座長の田Koです。
原則土曜日更新のはずですが、ちょっと本を読んでいたので遅くなりました。
今月は私自身少々忙しいので、週報更新が若干遅れたりする可能性があります。
まず来週と再来週の週報は恐らく日曜更新です。やることが増える増える。
そんな中でも、やはり自身の興味は最優先していく所存です。いくら忙しくても、それだけに時間を割くなんてことは決してしない。
機械的日常はどうしても性に合わんのです。
さて今週は、自分の宇宙観を見直す機会があったので、私の創作セオリー的なお話をしようかなと思います。
陰謀論的なものになるかもしれませんが、「こいつはこんな考えなんやなー」程度に読んでくれるとありがたいです。
さて昨日、なんの本を読んでいたのかというと、スティーブン・W・ホーキング博士の
『ホーキング、宇宙を語る~ビッグバンからブラックホールまで~』です。
1989年に出版され、世界的ベストセラーともいえる本書。自己の世界観、基い宇宙観練成のために読書。
約200ページ、あくまで一般向けに書かれた本書は、意図的に数式の記述を殆ど排した構成で大変読み易くなっています。
正直、そういう本は探しても余りない。おおよそ、何かの理解者の本はその理解を少なからず押し付けてきます。
そんな中でホーキング氏は、ターゲティングと、それに合わせた製品製造に極めて優れています。
実際、天文学の知識が無い私でも、この宇宙の魅力と不可解さを、同氏と共有できたのですから。
私がこの本を読んだ理由は、先に述べたように、
「自分の世界観もとい、宇宙観の練成」です。中二病全開な思考かもしれませんが、
正直これは全クリエーターにとって必要な作業かと思います。作品には一貫した哲学・美学が必要だと考えています。
特に、自分で宇宙を作り出さないといけないゲームクリエーターは、現実宇宙の構造を知る意義が余りにも大きい。
私は前々から、この宇宙はMTGでいうところの「多元宇宙」の構造を取ると信じています。
「この宇宙以外にも宇宙はあるだろう」なんて思っています。これはゲーム開発をしているうちに自然と出てきた考えです。
しかし宇宙同士で直接的な干渉をすることは無く、抽出された事象が1つの宇宙に流れ込むような世界像を描いています。
私はこれを「継ぎ接ぎの理想郷」と言って、そんな統合宇宙を考えています。
例えば、私の過去作品である「SweetSweetWars」なんかは、私が本気で「お菓子たちの世界」を考えた結果の産物です。
また同じく過去作である「豆腐」なんかは、「豆腐が動き回るような世界」はこんな感じかなーと考えて作りました。
そして、私達の生きる現実、是こそが「継ぎ接ぎの理想郷」として発生すべくして発生した統合宇宙だと思います。
我々の世界にお菓子が存在するのは、お菓子の在りようを決定する為の別の宇宙が存在するからだと考えています。
即ち、この世界が沢山の「概念決定用」宇宙の「継ぎ接ぎ」として捉えている訳です。
私達が生きている世界が、実はマニュファクチャリングされたものだと。何時からか考えるようになったのです。
また、原理の異なる動き方をする事象は、他の原理の認識を逃れるとも考えています。
我々の世界を循環し、支配するモノは「エネルギー」です。この世界の物理法則は、おおよそエネルギーの移動方法を規定する形に落ち着きます。
それと同様に、魔法の世界はどうでしょう。小説やゲームではよく「マナ」や「元素」が云々と言われますね。
我々がエネルギーを扱うように、魔女たちは「マナ」をある一定の法則に従って移動させ、魔法を放つのです。
ですが、エネルギーとマナは、互いに移動法則が異なるなら、それこそが世界、宇宙の相違だと思います。
そして、互いにそれを原則的に認識不可能になってしまう。この世界には見えない世界がある。
しかし偶然、互いの波長(?)が重なってお互いの世界に異なった法則と物質を現出させ得る。
この世界に「魔女伝説」があるのは、そういった見えない世界を受信してしまった者たちの口碑だと思うのです。
口碑とは世界の膠であり、また、見えない世界へのゲートです。これはそうじゃないでしょうか。
知る由もないことは知ることができず、観測も極めて困難でしょう。
観測できないはずの世界を受信した「幸運な」者たちはその奇跡を伝える義務があります。
「そんな世界を観測したい」と考える私のような人間は、そのために常にアンテナを張らねばなりません。
どんな世界の現出にも対応できるように知識が必要なのです。また、それらができるだけ客観性を持つように、
理論構築していくひつようがあります。それがたとえ、自分だけの世界観になろうとも、
それがきっと、クリエーターの証になるのです。
専門家でもない人間がいくら思考しようと、この世界を正しく記述することはできません。
思考好きの人間には、哲学か宗教のいずれかしか道がない。というのは昔の話で、
いまは「クリエーター」という職が在ります。良い時代になったもんですね。
ゲームを作るということのロマンを、もっと色んな人に知ってもらいたいというのが私の思いです。
一般的におかしな思考であっても、恐らく、考えが及ぶ時点でこの世に存在しうると思います。
もっともこれは、人間の理性を振りかざした乱暴な世界規定に他なりませんが、誰かが本気で考えた理論には、何かしらの価値を見出したい、
少しだけ高尚な承認欲求なのかもしれません。しかし万人の「思考」に対しては、常に寛容でありたい。
全てに可能性を見出せば、対立もなくなると思います。自己啓発本だと「認める力」なんても呼ばれますね。
もっとも、自分の芯を曲げずに他者の意見を組み込むのは結構大変なのですが、
時には、他者に論破されるでしょう。そうなりたくなければ、自分の意見の「穴」を説明する術が必要です。
進化論を人類へ齎したダーウィンも、そのような作業に多くの時間を費やしました。
突拍子もないことをいう前に、裏付けを完成させる事で、突拍子の無い支持者が現れ、ファンとなります。
「彼には一体何が見えているんだ。」と言われることが私の夢です。
「あなたと何も変わりませんよ。」と言い返すまでがセットで。
(宗教家になりたいわけでは無いですが...)
今回はこんなもんです。これからは自分の世界観を語る時はタイトルに「ひとりよがり」を入れますね。
この先、私と対立してくれる人が現れることを願っています。私は貴方を仲間に加え、共に創作をしたい。
我々は専門家では無いからこそ、全てを受け入れる用意ができている。田Ko
<次回更新予定日:2025年05月18日(Sun)>