ここは、座長「田Ko」(以後:私)のブログのようなページです。
過去作や、現在開発中の作品の四方山話を書きます。時々、お絵描きなんかも載せたりします。
また、私はここに、日記のような感覚で、その週の徒然たる話を書いていきます(こっちがメインかも)。
その足跡を辿れば、開発中の新作の姿が少しは見えてくるかと思います。
稀に、私の作品に共通する、私の世界観なども書いていく予定ですので、
意外と重要なページになあるかもしれませんね。
まぁ気楽に、暇つぶし程度に、読んでいってくださいな。
...タイトル名称の読み方は「にちにち これ きにち」です。あんまり語感は良くないねぇ。
タイトル「田Koの遠野紀行:幽世の柳と現世の田」
<記述日:2025年08月02日>
本ページをご覧の皆さま、こんにちは。座長の田Koです。
おぃ、7月丸ごと書いてないじゃないか。はいその通りでございます申し訳ございません。
忙しいというのは幸せなんですが、こういうのの更新が止まるのはよろしくないよね。
というわけで再開です。今回の内容は旅行記になります。
でかめの内容だからまとまった時間がないと書けなかったのよねぇ(言い訳)。後暑くないですかぁ(言い訳)。
さて旅行記と言えどもどこ行ったのよと。それはズバリ「岩手県遠野市」へ行ってまいりました。
はい、遠野です。かの日本民俗学の創始者、柳田国男翁によりその存在が一躍有名になった「民話の里」です。
かねてより行きたいなーと言っていたところ、父が連れて行ってくれました。いやホント家族大好きです。
遠野物語の文庫本を片手に、いざゆかん聖地巡礼。
まずはこちら、民話の里を体感できる「遠野ふるさと村」ですね。
現代社会においてやはりこういうかやぶき屋根は滅多に見れませんな。今はもうその殆どがトタンの下敷きです。
トタン屋根が敷き詰められた事によってそれまでかやぶき屋根に宿っていた「モノ」は悉く押しつぶされてしまい、
今我々の住む家の屋根の上には恐らくそういったモノたちの圧死体しか乗っていないのでしょうな。
かやぶき屋根を良く見ると、それは屋根でありながら自然の一部でもありました。
鳥たちが落としていった種が芽吹き、ツタが這い、コケが敷き詰められた中空の大地。
目に見えるものも、見え無いモノも一緒に駆け巡る大地そのもの、その屋根は確かに生きていました。
こんもりと、そしてどっしりと構えるその姿は母性のようなものすら感じられました。
そういえば、前になんかの本で人間の「母性と父性」の違いのようなモノを説いているのを見かけたことがあります。
母性とは「包括」であり、父性とは「分割」であるとのこと。
後日現代の屋根を見ると、それは家の外と内を分割する装置でしかない事に気づきました。
つまり、家の屋根については母に変わって父が台頭したようですね。
まさに物言わぬ力持ちっていう感じです。
うおー、マヨヒガの森だー。
遠野物語の中では「マヨヒガ」という題名で収録されているお話の舞台です。
現代語だとまぁ「まよいが(迷い家)」です。ジャンル的には神隠しのお話の一種です。
その家に招待されて何かを持ち帰ると、それがその者に何らかの恵みをもたらすという素敵なお話。
俺も招待されないかなーなんて気持ちで歩くときっと招待されない。
頑張って「無欲」の状態で歩こうとしても、一度知ってしまったが最後、知らない状態には戻れない。
一度生じた欲は簡単には消せませんね。結局招待はされませんでした。
場所の雰囲気は、至って普通の森です。何の変哲もありません。
ですがこういう場所に「何らかの変哲」を求めるのはナンセンスなんじゃないでしょうか。
この森は変哲がないからこそ「民話の里」の一部として機能するんだと思いますね。
あの世とこの世の違いなんて誰も分からないんだから。
さてこちらは藁人形ですね。でっかいです。
豊穣の祭りというのはどの地方にもあるものですが、遠野だと「雨風祭」と言われており、
こんなでっかい藁人形を作って皆でわっしょいわっしょいするみたいです。
一重に、憑代の文化でしょうかね。豊穣を齎す雨風の神を請来し、皆で騒いでそれをもてなす。
藁人形と言えば、昔はムラとムラの境には藁人形なり草履なりを飾っていたようですね。
排他を以てムラの団結とする。日本では忘れられたような文化ですが、意外と我々の意識の中にはまだそれが生きている気もします。
それはさておき、雨風祭のような「祭り」もまた、地域団結の強力な手段です。
ほんと、遠野を回っていると今失われつつあるものに次々と気付かされます。
人はAIと一緒に賑わうことは出来ませんしね。出来ちゃだめですしね(笑)。
さて先ほどの素敵なかやぶき屋根の家ですが、敷地内に5,6軒あってそれらはすべて中に入れます。
流石に貴重な経験ですね。滅茶苦茶写真を撮りましたが上げるのはこれにしましょう。
昔のお家は昔なりの良さがあります。まず全体的に暖色です。
暖色の内観に反して、家の風通しはピカイチ。夏は涼しく、冬は温かみを感じるグッドデザインです。
さて奥の方の掛け軸がある所をみると、可愛らしい木製の人形が二体並んでおります。
これは「座敷童」のお人形です。どうやらこの家は村一番のお金持ちの家だったようで、
その感謝の念から座敷童愛にあふれております。
さて「じゃぁほかの家は?」というと、他の家の掛け軸下におられるのは桑の木で作られた「オシラサマ」。
悲劇の馬娘婚姻譚として語られるオシラサマのお話ですが、それを祀る家には様々な神徳を顕す有難い神様です。
土着神の一種だと思います。かつて遠野地方の農家の副業として栄えた「養蚕業」の神として有名でもあります。
所変わってこちらは「福泉寺」という真言宗のお寺です。
町の外れにひっそりと佇むこのお寺ですが、その境内の広いこと広いこと。
山の半分くらい境内じゃないかな。
さて、largeなのは境内だけではありません。写真は「観音堂」という建物で、
この中には国内最大の木造の十三面観音様がいらっしゃいます。
真言宗特有の「ゴーマ」の煙漂う神秘の空間で、その観音様は優しく参拝者を見下ろしています。
厳かさの中に確かな優しさを湛えた表情、参拝者のみならず恐らくこの世全てを俯瞰していたんだと思います。
また素敵なかやぶきですね。でもこれはどうやら家ではなく「門」のようです。
これは「遠野伝承園」という施設で、先ほどのふるさと村と似たような施設ですが、より子供も楽しめるようなものになっています。
この施設の展示内容は遠野の歴史に関連するものが主ですが「オシラ堂」というのは唯一無二の内容です。
先の通り、オシラサマは馬娘の悲劇にルーツを持つ北東北の土着神で、クワの木を掘った馬頭と女性の対の御神体があります。
「オシラ堂」にはそのオシラサマが何対も何対もおられ、その身に着けている衣の色彩は圧巻の一言。
願い事を書いてオシラサマに着せると叶うらしいので、わたしも家の安全と繁栄を願って一枚書いてきました。
願い事は叶うんです。本人の努力と神頼み、この2つの力が合わされば必ず認めてくれる人が現れます。
当時は認められずとも、今こうして夫婦で愛されるオシラサマに思いを馳せると、そんな確信が湧いてくるようです。
さて先程までのほっこりあたたかとはうって変わって。
これは遠野の有名な「姥捨て山」である「デンデラノ(蓮台野)」付近の橋です。
橋にはよくあるレリーフですが、流石にここまで恐ろしいものは始めて見たな。
これはまごう事なき姥捨ての一場面ではないですか。
今だからこそ昔の風景を見てえも言わぬ「豊かさ」を感じるものですが、その実昔というのは豊かさとは対極にありました。
貧しさゆえに姥捨てや間引きを行って頭数を減らさなければいけない社会。
家族を愛するからこそ、その苦しさを感じます。良い時代になったということなのでしょう。
楽しい遠野紀行もここだけは特異な気持ちになったのをよく覚えています。どうか安らかにお眠りください。
やはり遠野はここ抜きには語れませんね。常堅寺裏のカッパ淵!
有名なだけで、その場所は結構分かりにくいところにあったのもいい思い出。
行った場所の中では一番人が多かったですね。ここは観光地化していました。
カッパ、その正体は色んな説(結構怖い説)がありますが、やっぱり今は妖怪と考えときましょうか。
妖怪はいるような気がしますけど、こうも人が多いと「ノイズ」が多くて彼らとチャンネルが合わないですね。
見えない世界の住人に会うにはチャンネルを合わせないといけないんだと思います。
なんの変哲もない淵です。ですがまぁ、先も申した通り、変哲がないからこそそこに何かが宿るのです。
川のせせらぎが気持ち良い夏を感じました。カッパもきっとそこで涼んでいることでしょう。
「カッパ狛犬」という世にも珍しい神獣がおられました。
うーん。珍獣ですね。そのいわれはかつてこのお寺が火事になった時淵から出てきて火を消した赤河童を
祀るために狛犬と合体させたことが始まりのようです。面白いですよね。
正にこれこそローカルな信仰だと思います。ここに民話と文化が習合しているのです。
遠野独特の雰囲気というのは遠野にしかないものを見ないと感じられません。
かやぶきや河童や座敷童の伝承はジャパニーズ文化であり、遠野チックかと言われると疑問が残ります。
だからこそ私は、この河童狛犬こそ、遠野ロマンであると感じました。
さて今回はこのくらいで。遠野は民話の里と言われますが、その実何の変哲もない古の日本の宝庫です。
遠野はだからこそ民話の里なのです。当たり前の光景の中にこそ民話は潜むのです。
大切なのはそれを見ようとする努力。現代においてそれとの「遭遇」はできないのですから、
面倒ですがこちらからチャンネルを合わせに行くことが重要です。
この世のどこにでもあるから見えないもの。それこそがあの世なのでしょう。
遠野郷にはこの類の物語なお数百件あるならん。
我々はより多くを聞かんことを切望す。
願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。
柳田國男
<次回更新予定日:2025年08月09日(Sat)>