ここは、座長「田Ko」(以後:私)のブログのようなページです。
過去作や、現在開発中の作品の四方山話を書きます。時々、お絵描きなんかも載せたりします。
また、私はここに、日記のような感覚で、その週の徒然たる話を書いていきます(こっちがメインかも)。
その足跡を辿れば、開発中の新作の姿が少しは見えてくるかと思います。
稀に、私の作品に共通する、私の世界観なども書いていく予定ですので、
意外と重要なページになあるかもしれませんね。
まぁ気楽に、暇つぶし程度に、読んでいってくださいな。
...タイトル名称の読み方は「にちにち これ きにち」です。あんまり語感は良くないねぇ。
<記述日:2025年02月05日>
本ページをご覧の皆様、こんにちは。鱆壷座-座長「田Ko」でございます。
暦の上、二十四節気によると、既に日本は立春です、ここから春が訪れるのでしょうか。
少なくとも、私の地元、基い、本サークルの本拠地では、そんな気はまだしません。
節分にて追儺を終えたばかりですが、身の回りの疫病神は、その活力を増しているようです。いやはや。
さて、この文章がおそらく、このサイトにて公開する初めての文章かと思います。改めて、宜しくお願い致します。
「最初に書くことかぁ、重要だよなぁ」という思いの下、そこそこの気合を込めて認めている本文章ですが、そうですねぇ...
最初なので、この週報のタイトルについて、語ってみようかなと思います。
このタイトルの元となった言葉は「日々是好日(にちにち これ こうにち)」というものです。
私が好きだなーって思っている言葉の一つで、中国は唐の時代の、とある禅僧の言葉です。
禅宗には「公案」というものがあります。簡単に言うと、位の高い僧から、若手の僧に向けた質問、
但し、一生かかって考えて、やっと判ったり判らなかったりする、仏の御心に通ずる超難問です。
「日々是好日」は、とある公案のアンサーとして言われたもので、それは以下のようなもの。
Question:お前の過去15日のことはどうでもいい、そのうえで今後15日、どうなると思う?
Answer:日々是好日(毎日いい日です)。
「一切皆苦」な現代人マインドに照らして、何とも羨ましい生き方です。
さて、「般若心経」では「空」の考え方が重要視されております。この世の見える世界を「色」と捉え、
その対義語です。しかしながら、実際は表裏一体。少なくともこの経典は「唯心論」の立場をとる様で、
「他存在の認識がその存在を規定する」という「生かされ方」を説いています。唯心論ということは、
私達が「色」としてとらえるこの世界も、意識さえ向けなかったら「空」に転ずる、というロジックです。
私達の「心」も「色」の一種で、仏の空観は自らをも忘れないといけないようです。
(自分を忘れたら忘れたで、その忘れた自分を忘れて色の世界に戻ってこないとダメなようですが)
もし心がなかった、忘我を成し得たとすればどうなるか、それこそがこの世の「苦」からの開放である。と仏教は言っています。
珍重、珍重。
このことを考えると、先ほどの「公案」が、いかに僧としてのベストアンサーかが分かると思います。
つまり、「未来のことを気にするなよ、それは苦につながるぜ」ってことですね。貴方が聞いたんですよ。
そのかわりに、「今が楽しいじゃん?楽しくないなら、お前はまだ未熟だね。」とも言っているようです。ぐぅの音も出ないね。
(なお、もっと仏教に沿った考えをすると「今」さえ存在しなかったりする)
タイトル「日々是畸日」に込められているのは、私の単なる願いでしかありません。それは、
「毎日が変な日でありますように」
ただそれだけです。クリエータとして成長したい、なら、常に何かを取り込んでいたいものです。
ルーチン化した「健常な」日常を離れ、毎日がどうか「畸形」であってほしい。そうでなければ、
人間はいずれ死んでしまうのでしょう。我思う故に我あり。なんとまぁ、自我の強い、仏の教えに沿わない事か。
努力して毎日を「畸」に生きようとする、そんな人間である私のブログ。もの好きの貴方へ、これからもささやかな刺激を。
<次回更新予定日:2025年02月15日>